はじめに
世界の人口の0.25%しかいないユダヤ人が、ノーベル賞の20%、フィールズ賞の25%を占めているのはなぜなのか。
学問、芸術、経済の世界で活躍するユダヤ人の発想の秘密を「教育」「お金」「人間」「物の見方」の4点からまとめました。
1. ユダヤ人の教育観
ユダヤ人は、教育、学び、知識、知恵を何よりも大切にする。
人が生きている限り、奪うことができないものがある。それは知識である。
ユダヤ人の歴史は、家を焼かれ、土地を奪われ、財産を没収されることの繰り返しだった。
着の身着のままで逃げながら、もっとも大切なものは知識であることを、ユダヤ人は体験から学んだ。
知らないということを認めるのは知的なことだ。
学ぶことは、自分が知らないということを認めることから始まる。
知らないということを認めない者は、成長することがない。
ユダヤ人は、つくられた権威を常に疑う。
今日まで、世界の進歩を阻んできたものがあったとしたら、おそらくそれは権威であろう。
既成のものを疑う。いいかえれば、自由な精神を持つことである。常に疑問を持つ人間になることである。このことは、ユダヤ人にとっての権威は神しかいないこと。人類は皆、神によって創られた一人の人間の末裔であり、人間には上下がないという考え方に由来している。
いかに稚拙な質問であろうとも、必要ならばすべきだ。
稚拙な質問というものは、質問された側にとっては苛立たしいものだし、時間の無駄である。
しかし、だからといって封じてはいけない。
稚拙な質問を封じてしまうと、よい質問も殺してしまうことになりかねないからだ。
ユダヤ人は質問できる雰囲気を大切にしているのである。
ユダヤ教では、学ぶことと祈ることは同じことである。
習うだけでなく、自分で問いを見つけて学ぶ。ユダヤ教では学ぶことは神を称えることだと考えられている。
ユダヤ人は、過去の伝統を今日のものとしてだれもが日常的に勉強する。
この伝統が書かれているのがユダヤ人にとっての聖典「タルムード」である。
タルムードは巨大な本である。ヘブライ語で綴られ、二十巻、一万二千ページにものぼる。このタルムードはユダヤ人の知恵の源泉となっている。
2. ユダヤ人の金銭観
ユダヤ人は、金銭を良いものだとは言わないし、悪いものだとも言わない。金があったほうが、人生でいろいろなことができる機会が増えると言う。
金は称えてはならないが、蔑んでもならない。金は人間の道具の一つなのだ。そして、金は有用な道具であるから、できるだけ多くもっていたほうが良い。
あなたがもっている物を、それを必要としている人に売るのはビジネスではない。
それでは安易すぎる。
あなたがもっていない物を、それを必要としない人に売るのがビジネスである。
ユダヤ人は、中世ヨーロッパで長い間圧迫され、正業につけなかったので、ユダヤ人街の住人の多くはブローカーになった。
3. ユダヤ人と人間観
自分を世界の中心に置き、相手を尊重する。
ユダヤ人は、対立することをおそれない。
タルムード的人間は、意見の対立は健全なものだと考える。
対立をうまく使うためには、どうすればいいか。それは、相手や相手の立場、意見を尊重することである。
ユダヤの罪の観念では、罪人は本来は罪を犯すはずがなかったのに、たまたま犯してしまっただけだと考える。
ユダヤ人が罪の許しを乞うときには、「私」とはいわない。必ず「私たち」という。自分一人で犯した罪でも、必ず人々が犯したというふうに考える。
というのは、ユダヤ人は一つの大きな家族と考えられているため、自分が罪を犯しても、全員が罪を犯したことになるのである。
4. ユダヤ人の物の見方
ユダヤ人は物事を向こう岸から見る。
「成功の半分は忍耐だ」ユダヤ人がこの言葉を読むときは、こう考える。なるほど、成功するには忍耐が必要だ。しかし、同時に忍耐だけでは成功しないと教えているのだ、と。
ユダヤ人は知的には率直ではない。ユダヤ人は物事をあらゆる角度から見ようとする。
「ヘブライ」という言葉の意味は「もう一方に立つ」である。
他人がどう感じているかを無視し、他人の気持ちを察しようとしないので人々に合わせることができない者は、人を退屈させる。
自分のことだけを考えている人間は自分である資格すらない。